子どもの入院生活のすべてに渡り,大人の知り得ぬ恐怖心や不安感や自責の念から解放し,治癒効果を高めるためのデザインのことです.
感性デザイン学によるツール開発の考え方と実際に開発したツール等について公開します.
[J-STAGE:看護医療現場を支援するチャイルドライフ・デザイン<特集>新たな社会づくりのためのデザイン]
感性デザイン学がベース
チャイルドライフ・デザインとは、入院患児の心に焦点を当てたデザインです。ここで言うチャイルドライフとは、入院生活を指していますが、在宅も含みます。
入院した子どもの心と付き添う保護者の心に配慮した感性デザインが必要であると感じて、2002年から患児の心に焦点を当てたデザインに着手していました。2004年に北里大学病院小児病棟3Aの看護師・師長に共同研究の提案をし、快諾して頂いたことから学術的な研究としてスタートしました。この取り組みを始めとして、他の病院や看護学系の大学との共同研究によって開発したツールを公開したのが、本サイトです(2005年4月8日公開)。
ツールは,感性デザイン学をベースとして開発しています.感性デザイン学というと聞き慣れない人もいると思いますが,日本学術振興会・科学研究費では,人間情報学およびその関連分野/感性情報学関連/感性デザイン学(P27の61060参照)という学問体系の中に位置づけられています.
[感性デザインのサイト][電子書籍:感性と情報からデザインを考えるために]
目指すこと
小児病棟における入院生活は,外部からは見ることのできないブラックボックスの社会です.見ることができるのは子どもが入院したときに限られるため,とても改善の提案はできません.多くの親が子どもを看てもらっているという負い目にも似た感情がそれを阻止してしまいます.入院が長期になればなるほどその感は大きくなるでしょう.人質を取られているのだから言えるはずもないと思う親もいるでしょう.このブラックボックスの社会をデザインが置き去りにしたのは,市場原理が処置の効率を上げるためだけに焦点を当て,子どもや保護者の心へ配慮すべき重要性に気がついていなかったからです.気づいていたとしてもなおざりにしてきたのです.言い換えれば,デザインは『快のイメージの増幅』に焦点を当て,『負のイメージの軽減』に焦点を当てて来なかったのです.
当サイトは,ツール開発の考え方やツールを開示すことで,小児看護における子どもの心に配慮したデザイン展開が,子どものみならず,保護者の心,医療者の心をより良い方に向け,看護医療のリテラシーを高めるデザインの発展となることを目指しています.
ディストラクション,ストレスコーピング
コミュニケーション
教育
Keyword
感性デザイン
感性デザインとは,自分でも気づかないような心の働きをデザイン要素を駆使してどう心に変化をもたらせてより良い方向に導くことができるかを考え,そしてカタチあるものないものに限らず具現化することです.
「感性デザインとは何か」を知るためには「デザインとは何か」を知ることが必要です.デザインの定義はいろいろありますが,「問題解決の行為」です.当然「問題の発見」を含むのは言うまでもありません.
一般的に見ると「デザイン」は,デザイナーの感性によって成されるものなのになぜわざわざ「感性」と付ける必要があるのか疑問に思うはずです.それはデザイナーの感性だけでは太刀打ちできない,心に焦点を当てなければならない問題解決領域があるからです.つまり,人の「心の変化に焦点を当てた問題解決の行為が感性デザイン」ということになります.
感性操作
感性操作とは,人の感性(=心)を動かすことです.このキーワードが重要であると考えるに至ったのは,「負のイメージを軽減するためのデザイン」の重要性に気がついたからです.今までのデザインは,分かりやすさも含めて,全て「快のイメージを増幅するためのデザイン」だったのです.楽しい・面白いと言うのは消費社会に求められるので当然です.しかし,それだけでは太刀打ちできない領域があるのです.その最たるものが小児看護の世界です.
デザイン要素を駆使して,快のイメージのを増幅したり,負のイメージの軽減したり,人の感性(=心)をより良い方向に導くことが,感性操作なのです.この考え方は病人だけではなく,様々な人の心に必要なはずです.
感性を操作すると聞くと怖いというイメージを抱く人がいるかもしれませんが,小児医療の現場において急を要す処置治療が多々あります.子どもの恐怖感や不安感を一気に軽減する必要性・重要性を考えれば操作という言葉は,決して悪い意味での操るというイメージを含んではいないのです.
感性評価
感性評価とは,人の感性(=心)を評価することです.なぜあの製品が好きなのか,どうしてあの子が好きなのかといった心を決定している要素を抽出し,重み付けをすることです.しかし,一般的な手法である1から5までの数値を選んでもらう5段階評価は,「分析しやすいように数値に置き換えなさい」と言う大前提があるのです.考えてみれば,性質の異なる質問なのになぜ同じ5段階で良いのかを考えるととたんに,精度に疑問が出てきます.
心のイメージは,用意された1〜5段階の数では表現しきれないという心の働きがあるはずです.例えば,「私のことをどれくらい好き?」と尋ねられたら5段階評価の数値で悩むより,両腕を開いて表現した方がピッタリくるのと同じです.怒りを評価するときには,両腕を広げるのではなく,粘土の塊を拳で殴ってその凹みを触覚と視覚で感じる方がしっくりくるはずです.体積の変化量を計れば数値化も可能であるばかりかもっと意味がありそうです.
つまり,評価は用意された数値よりもっと的確な方法があるということなのです.曖昧な感性は,曖昧なまま表現することが重要なのです.さらにたちまちの内に数値化されることを考えればよいのです.
講演論文:「感性評価のためのデザイン」日本基礎心理学研究(pdf427K)
子どものためのデザインは親のためのデザインでもある
子どもの恐怖感や不安感を軽減するためにデザインを進めていくと,親のためのデザインでもあるということに気がつきます.例えば,共同研究先の佐賀大学附属病院の小児科医が心理量を物理量で評価するツールの球を使って気持ちを尋ねると患児の顔がみんな明るくなり,それを見ているお母さんの顔もまた明るくなり,医療者が子どもの心のことを知ろうとしていることに驚きと共に感謝の意を伝えるという報告がありました.子どものためのデザインは,親のためのデザインであることを最初から考えることが重要ということです.
そもそも子どもに玩具を買う決定権は親にあり,親はこちらの知育玩具の方が良いと判断し子どもに願いを込めて買うわけだから今までだって親のためのデザインを考えていたではないか,というのとは全く異なる視点です.
子どもの恐怖感を軽減するデザインが,連鎖として親の安堵感を生むデザインを考えると言うことです.子どもの理解を高める方法にある機能を入れることで親の理解力を高めるデザインを考えると言うことです(Kizuna:CVカテーテル用プレパレーションのようにプレパレーションの最中に親がもっと知りたいと思った時,それに応えるためのデザイン要素を考えて設計すること).
子どものためのデザインは看護教育のためでもある
患児のためのツールは,看護師と一緒に扱うことが多いのが現状です.看護師が作成するプレパレーション・ツールは,その子どもを思う心に溢れています.それは逆にその子どものためだけのツールになるということです.つまり一方通行のデザインです.これに対してツールを看護師が扱うことで看護師が気づくことができるデザイン要素を考えることが双方向の教育を考えることになるのです.
例えば,Smileや「入院患児のためのプレパレーション用絵本(グッドデザイン賞受賞)」で子どもの視点を取り入れたことで,ストレッチャーで手術室に向かう時に流れるように感じる天井や,医療者に覗き込まれることが恐怖感や不安感を増幅していることを看護師自身にも気づいてもらうことができます.看護師が患児に説明している時,同時にその感覚を共有することは,看護教育にとって重要です.チャイルドライフデザインは,感性デザイン学がベースとならなければならないということも理解できると思います.「小児がん食事基準の可変性に対応した携帯サイト」では,保護者がTwitterで呟けば,寛解までのレベルによって食材などの加工方法が返ってきますが,看護師・栄養士・医師などによって文言を決めることで保護者も看護師も知識を増やすことができる仕組みをデザインしているのです.
プレパレーション・システム
チャイルドライフ・スペシャリスト紹介の本には,プリパレーションに看護師も病棟保育士も手を出すべきでなというニュアンスで書かれていますが,共感できません.看護師がプリパレーションをやる意味・意義,病棟保育士(医療保育士)がプリパレーションをやる意味・意義はそれぞれにあるはずです.例えば,注射など痛いことをする看護師であるからこそプリパレーションに関わる姿勢が,痛いことを全くしない人より真剣でそして深いところまで考えて実践できるはずです.一方,痛いことをしない病棟保育士(医療保育士)への患児の笑顔が違うことも知っています.一緒に遊んでくれ寄り添ってくれる保育士にしかできないプリパレーションが必ず存在します.つまり,立場の違いによるプリパレーションに対する考え方をそれそれが明らかにすることによって,より深いプレイステーションができるのです.日本に適合したプリパレーションは,看護師,病棟保育士(医療保育士),医師,病棟心理士,スペシャリストがそれぞれの立場でプリパレーションを考えてシステム化することによって,欧米よりもっときめ細やかな配慮と共に実践できるはずです.プリパレーション・システムと謳っているのは,最終的には,時と場所,そしてそれぞれの立場で行う意味・意義をシステムとして構築すべであり,ツール開発もそれを考える必要があるからなのです.
プレパレーション実施者は母親に勝る者なし
プレパレーション・ツールを使った実験(動作解析システムによる実験)では,「痛いことをする(注射などの)説明」や「面会後のお別れ場面」,「母子分離(処置室,手術室などに入る場面)」では,デジタルツールであろうがアナログツールであろうが,患児は看護師ではなく必ず母親の方を見るのです.これは恐怖感や不安感が増した時,心のよりどころは母親に勝るものはないことを示しています.
本来なら母親がプレパレーションを実施した方が子どもの心に取っても良いと言う考えを裏付ける結果を得ましたが,なぜ全てにおいて実施できないかというと医学的知識が乏しいからに他ありません.医学的知識がなくてもできる範囲が「Smile」や同内容の絵本です.実際に「医療者に依頼してもプレパレーションをしてくれないのでSmileを子どもに使わせてもらえないか」という依頼があります.
もっと難し内容のプレパレーションでも,医学的知識をデザインで分かりやすく伝えることができれば,母親にも十分実施ができるのです.それを可能にするためには,精密なデザインよりも概念として正確に伝えるデザインが必要になります.
ところで,プレパレーションを母の手に渡すべきであるということに反対する医療者がいるのも事実です.しかし,例えば,医療知識が豊富である看護師の子どもが他病院で手術を受けるとして,見ず知らずの看護師がプレパレーションをするなら自分がやった方が良いと考えるのと同じことなのです.医療知識があれば,自分がやりたい.その親に応えるデザインは,可能なはずです.
倫理審査委員会は指摘のためではなく患児のために
倫理審査委員会を経なければならないのは当然です.ところが,倫理審査委員会が医療関係者自らの首を絞めているだけではなく,患児の不利益になっていることにもっと真摯に考えなければなりません.倫理審査の結果が出るまでの長さは,その間に患児の不利益になっていることを考えなければなりません.
本来医学が人体実験など倫理に反することへのブレーキのシステムですが,それを看護学の世界に持ち込むとカタチを変えて的外れなところの指摘に使われます.例えば,アナログツールとデジタルツールの比較実験計画だとデジタルの方が良いのだからアナログツールを使った患児は不利益を被るためダメだというような指摘です.デジタルツールの方が良いという思い込みがこういうことを言わせます.
倫理審査委員は,経験が豊富であれば大丈夫と思ってはならないのです.この危うさは,鬱病の人へがんばれと励ます(経験豊富な)人と同じです.常識があれば倫理審査ができると思うのは大きな間違いです.
もう一つの問題は,倫理審査委員会だから何かを指摘しなければという感覚です.コメントを求められれば何か言わなければと言う切迫感に似ています.倫理審査の定義を挙げ列ねるより,これは誰のためで何が本当に倫理に反しているのか,それを議論し精査することが大切です.(実は多くの医療関係者がおかしいと思っています.倫理審査の遅さや理不尽と思えることを指摘すると「思っているけどそんなことを言ったら針の蓆です」「外から言ってもらえないでしょうか」と言われます)
人間性がツールを生かしツールが人間性をつくる
20年近くに渡って多くの看護師,医師,病棟保育士,心理士などと直接・間接的に関わってきましたが,資格より「最後は人間性(=患児を思う心、その親の心中を深く察する能力)」につきます.
人を本当に思う心は,生まれ持った能力であり,家庭教育の賜物だと思います.人を本当に思う心というのは,エンパシー能力です.すなわち共感能力,その人の立場になって気持ちを理解できる能力のことです.これを持ち合わせていない人がプリパレーションを実施しても子どもの心には響きはしません.
患者中心の医療と言われるものの患者側が思う程感じていないのは,カタチあるモノとして見えないからです.思いの話しだけでは伝わった伝わらないということに終始してしまうからです.カタチあるモノとは,ハードであってもソフトであっても良く,確かに存在しているという実感覚です.
人を思う心は,共感することや気づきから始まるとすれば,そのデザイン要素は何なのかを考えることです.そしてそれを組み込んだツールを開発し学術的な検証をすれば良いのです.次にツールを使うことで説明者が患者の心に気づく仕組みを考えれば,更に上のレベルのツールとなるのです.
医療施設にこそ感性デザインセンター
入院患児を対象としたデザインは,市場原理主義の最たるものでしょう.それは,大学のデザイン系学部・学科から多くの人材が輩出されているにも関わらず.看護医療現場に患児の心に焦点を当てたデザインがほとんど出ていないことを見れば分かります.看護学部・医学部とデザイン学部があるかどうかは関係はないのです.本当に利用すべきツールが常に創られて進化していくだけの環境があれば,これが変わります.
しかし,その環境を確保するのは非常に難しいのです.大学で病気の子どものためのでデザインを展開する意味は,学術的に捉えて開発できる点ですが,二つの問題点があります.一つは,開発したらその時点で基本的にそのツールは終わるということです.学生は卒業してしまうとツールのメンテナンスも開発も止まるのです.もう一つは,現場の要望をリアルタイムで把握できないということです.子どもの意見・保護者の意見を汲み取るシステム形成に時間がかかるのです.病院とは独立していながら,しかし同じ方向を向いて研究を進めることができる感性デザインセンターがあると真の「患者中心の医療」の具現化ができるのです.
カタルシス効果を得るための遊び
カタルシスとは,代償行為によって得られる満足を指します.代償行動とは,何かによって自分の思いどおりにならない時の心を解き放つために取る行動です. 長い治療の苦しみや悲しみを言葉に出して露呈したり絵にすることによってそれらを解放することができますが,悲しい時に悲しい曲を聴くと癒されるというのもその範疇です.しかし,小さな子どもは効果的な行動が取れませんから遊びによってそれを支援することが良いと言われています.ところが専用のツール(玩具)はほとんどありません.そこでカタルシス効果を得るためのツールを考える必要があります.つまり,遊びのデザインに心理治療としてのカタルシス効果を持たせるデザイン要素とその構成要素を考える必要あるのです.
入院が長くなればなるほど,無意識のうちに抑圧されている過去の苦痛や恐怖を表出させることによって押しつぶされそうな子どもの心を解放し,心の緊張を解く必要がありますが,それには,感情や葛藤が遊びという表現とともに表出しやすいデザインとそのシステムを考えることが必要になります.子どもに限らず抑圧されている心に気づいていない場合がありますからある行為(ここでは遊び)によって効果を得られるという仕組み(システム)もまた重要というわけです.もう一つは一気に解放するためのデザインも考える必要があります.フラストレーションに対して回避すべき代償行動が取れないためにストレスが蓄積され,もはや遊びなどでは解放できないという場合もあるからです.
ところで,今なお子どもは病院に遊びに来ているのではないのだから遊びは不要という考えの医療者がいます.その医療者を子ども時代に戻し入院患児と同じ状況を体験させることができれば,遊びの意味をはき違えていたことに気づくはずです.
Profile
管理人
岡崎 章/AKIRA OKAZAKI
博士(感性科学)[Doctor of philosophy in Kansei science](筑波大学)
「デザインにおける感性の働きに関する研究」/The function of Kansei in Design Process
・所属学会
日本デザイン学会 / 人間工学会 / 感性工学会 / 日本小児看護学会 / 医療の質・安全学会 / 他
・職 歴
東北芸術工科大学 デザイン工学部 生産デザイン学科 助手(1992年〜1997年)
筑波大学 芸術学系 専任講師[感性評価構造モデル構築特別プロジェクト専従研究員](1997年〜2002年)
拓殖大学 工学部 工業デザイン学科 准教授(2002年-2008年3月)
拓殖大学 工学部 デザイン学科 大学院教授(2008年4月〜現在に至る)
理工学総合研究所 所長(2017年4月〜2021年3月)
工学研究科 情報・デザイン学専攻主任(2021年4月〜)
慶應義塾大学 理工学部 非常勤講師 (1999年〜2009年度)
武蔵野美術大学 デザイン情報学部 非常勤講師 (2004年-現在に至る)
・委員等
中学校学習指導要領解説 美術編 作成委員 (2008年7月公開)
H23年度 科学研究費 審査員(情報学/感性情報学・ソフトコンピューティングA)
H26年度 科学研究費 審査員(人間情報学/感性情報学)
H27年度 科学研究費 審査員(人間情報学/感性情報学)
キッズデザイン賞 審査委員(2017年〜)
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